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指揮者紹介

谷野 里香

尼崎市に生まれ、5歳のころよりピアニストの母より手ほどきを受ける。11歳からチェロをはじめ、ジュニアオーケストラに所属し、14歳から声楽を始める。

18歳の秋、指揮者を志し、故 山田一雄、佐藤功太郎の両氏に指揮法を学ぶ。

19歳の春、リュウマチ様関節炎を発病するが克服し、京都市立芸術大学指揮科に10年ぶりの合格者として入学。指揮法を石橋義也氏、チェロを上村昇氏、オーボエを岩崎勇氏、ピアノを志水英子、宮田俊雄の両氏、作曲を広瀬量平、前田守一、藤島昌寿、北爪道夫の各氏、声楽を三井ツヤ子氏に学ぶ。

在学中に学内定例コンサート他、大学祭では「アニーよ、銃を取れ」「マイ・フェア・レディ」等のミュージカルも指揮し、四芸祭(同大と東京芸大などの四大学合同祭)でベートーヴェンの「第九」を指揮してデビューする。

卒業後、学生オーケストラのトレーナーやオペラの副指揮者などをこなし、1992年12月には平安女学院短期大学にて「クリスマス・カンタータ」を指揮して好評を博する。

1993年春より豊中市民管弦楽団の指揮者として、第10回以降の定期演奏会、伊勢志摩第九演奏会などを指揮する。

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谷野先生よりひとこと

『何か?』+『音にする』=『音楽する』?
  『何か』を『音にする』という行為は表現の一つです。だから、『何か』にあたる要素が無い、『何か』=0 の時に『音にする』という行為はある意味では『苦痛』をも産み出し、また、そんな音がどんなに多く集まっても決して『音楽』にはならず、『0』+『音にする』=『単に音がする』 に過ぎません。 (つまり、義務感のごとく、無理な表現をすると、『何か』を自分自身から絞り出して自分を枯れさせてしまう、つまり疲れてしまうと私は思います)
 しかし、『何か』≠0 ならば『何か』+『音にする 』=『楽しい音がする』 と、なり、『何か』にあたる要素次第で、もっと『多種多様の音』になっていくのではないでしょうか。

 それでは、『何か』に相当する要素とは? それは【感情】・【感動】・【感激】 ・【感・・・】・【感・・・】・【感・・・】・【感・・・】・・・・・・ そう、外部の様々な刺激から受ける『心の揺れ』なのです!【感じる】ことなく日常生活を送る事は、【第六感】まで持ち合わせている人類には不可能に思われます。 『心の揺れ』+『音にする 』=『音楽する』 なのです。 感受性に個人差があるように表現力にも差が生じますが、『何か』 ≠0 でない限り集まった音は聞く人・演奏する(表現する)人の聴覚を刺激し、また『新たな心の揺れ』を生み出していくと私は考えます。

 私にとって『音を出す』という事は『産む苦しみ』ではなく、『新たな心の揺れを産む喜び』であって欲しい、またそうなって欲しいと思いながら指揮をしております。

 まだこの豊中市民管弦楽団は『誰よりも音楽を愛しているのに・・・その気持ちが行動に直接結びつけられない音楽人集団』みたいなところもありますが、その潜在的な能力が早く花開くよう、日々がんばっています。

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